October 26, 2008

条件付けされた快楽のしくみ

今現在のシステムは、単純に考えてもヒトをハッピーにすると思えない。
「金銭は大切」というフレーズに対して盲従し「多ければ多いほどいい」という考え方は、一体何を生み出したのか?答えは、二酸化炭素とゴミの山。

とはいえ、「ユートピア論」は危険も伴う。ナチスやポルポトもある意味ユートピアを目指した。しかし、今までの「ユートピア論」は人間の生理を抑制し管理する。それは支配者にとって都合のいいものでしかなかった。

富の再分配をイデオロギーとするコミュニズム体制も「競争好き」のヒトの欲望を抑制したために崩壊した。

資本主義は競争によって目標を達成するのがアイデンティティである。自らの欲望の達成にひたすら邁進する。「勝利」に向けて。

しかし、「勝利」とはなにか?敵を打ち破り、戦利品に酔いしれる?この概念は、人類がかなり貧しかった時代の産物で、「より多くせしめる」という情報が脳内にインプットされると快楽物質が出るように過去にプログラミングされただけかもしれない。

現在でも「成功」とは富と名声である。「成功」したヒトは己の快楽を手に入れようとする。つまり自分に対しての「褒美」である。「褒美」は金銭で行使できるあらゆるものである。巨大な家、美しい多くの女性、高級車、装飾品、豪華な食事などで「快楽」を満たそうとする。しかし、富める者はすぐに飽きて残酷な趣味に走るのが常である。

「快楽」とはなにか?
快楽とはある種の高揚した気分、もしくは安心感だと言われている。麻薬常習者は、自己のすべてを「麻薬」に還元する。なぜなら麻薬を摂取することが快楽中枢を刺激し
「なにもいらない」満足感が得られるそうだ。常習者が常習癖から抜け出せないのは、快楽をもたらす外的要因がより唯物的なためパブロフの法則のように自らを条件付けしてしまうからだ。

唯物的な外的要因によっての「快楽」
ということは、「快楽」とは中枢神経の反応でしかないのかもしれない。
その「快楽」のために一般の現代人は競争し、蓄財し、散財する間接的な方法で中枢神経を刺激しているだけかもしれない。

しかも、「快楽」を得るための間接的な方法とは、かなり貧しかった時代の脳内プログラミング「満足感」「達成感」「征服欲」の充溢によって得られると信じ込んでいる。